ク・セ・ジュ 〜月夜に君は何を想うか〜

考えるということは、要するに自分で何か映像をつむぎだしていくということだ。何かが、あたかも自分の眼にはっきりと映るかのようにしていくのが「考える」ことだ。どんな人でも、結局はそういうふうにして考えている

歴史SF小説『草莽ニ死ス ~a lad of hot blood~』 第19話

●ゴクツブシ米太郎です。ヒートアップして参りました!

 

「土佐というところは、なかなか面白い土地柄らしくてね。険峻な山や曲がりくねった長い河がもたらす厳しい天災が、負けん気の強い豪胆な快男児を量産するんだと」

 竹刀での稽古を終えて、胴着を脱ぎ捨てながら、沖田総司が涼やかな声で小佐吉に話しかけた。稽古の相手を務めた小佐吉はボロ雑巾のように床に伸びていたが、不意に首を上向け、にこりと笑って見せた。

「その土佐が産んだ傑物、坂本龍馬……。一手、仕合(しお)うてもらいたいものでございますな」

「小佐吉もといザコ吉なんて、刀使うまでもなく瞬殺だろうぜ。デコピンで仕舞いよ、デコピンで」

「ハハハ、藤堂どのと同じことを仰いますか。こりゃ手厳しいですなぁ」

 たまの休日、何をして時間を使おうかと考えていた小佐吉は、屯所で朝食を食っている最中にふらっと現れた沖田一番隊隊長に稽古をつけてやる、と引っ張り出された挙句、こてんぱんにうちのめされたのだった。

 しかし、床に叩き伏せられても小佐吉の心は宙に浮くように軽く、弾んでいる。

小佐吉が救いようのないマゾヒストだったとか、そういう話ではない。もしかするとそうなのかも知れないけれど、少なくとも今回は、彼の性的嗜好と弾む心の因果関係は特にない。

入隊当時は小姓以下の雑用係という身分だった自分が、休日に新撰組一の剣豪と誉めそやされる沖田に稽古を誘われるまでに至ったのだ。身に余る光栄とはまさにこのことであろう。

 その高揚感が手伝ってか、山南総長から下った任務のことは伏せつつも坂本龍馬を追うことになるかもしれないということを、小佐吉は沖田に話して聞かせたのだ。

「藤堂……と言えば」

 沖田は手ぬぐいで額の汗を拭きながら、独り言のようにつぶやいた。

「最近、彼は伊東さんと親しくしているようだな」

 伊東甲子太郎(かしたろう)――つい先日、新撰組に「参謀」という副長と並ぶ破格の待遇で入隊した男だが、これが相当の逸材だった。

千葉周作が拓いた北辰一刀流を若くして修めた剣術の達人でありながら、勤王思想や文学ほか様々な学問に精通した文武両道のスペシャルエリートである。弁舌も巧みで隊士たちを惹きつけ、彼と共に入隊した篠原泰之進らを中心に、すでに「伊東派」なる派閥が沸々と醸成されつつあった。

「伊東どのと藤堂どのは新撰組に入る以前からの付き合いがおありですし、親しくされるのも尤もなのでは?」

 小佐吉の問いに沖田はうん、と頷いておきながら、その表情はあまり冴えなかった。

「いやね、最近、山南さんに近い人が段々と離れていってるように見えてね。斎藤さんもここにきて、土方さんの右腕としての頭角を現しはじめた。脱走した隊士の粛清やら政治的な根回しやら、組織が大きくなってきた分、土方さんがこれまでのように一人で切り盛りしきれなくなっていたところを見事に穴埋めするようなあの活躍ぶり。そりゃあ土方さんも重宝するさ」

 藤堂は伊東に、斎藤は土方に。力ある者は己の力を増幅させるキーマンをまるで磁石のように引き付け、自分の周りを固めようとしている。そんな中、山南総長が取り残された立場は非常にもろく、危うい。

 小佐吉も持ち前の勘のよさで、新撰組内部のそういった事情には感づいてはいたが、あの泰然自若とした山南総長の様子を見ていると、自分がどうすればよいのか、とんと困ってしまうのだった。

「あ、降ってきた」

 沖田が軒下から首を伸ばして空を見上げて言った。小粒の雨が庭の赤土にしみ込み湿っていく、しめっぽい匂いを小佐吉が嗅いでいると、沖田がぽつぽつと話し出した。 

「水……に喩えるなら、土方さんは滝かね。とめどない勢いで一気呵成に敵を打ち倒し、なぎ払う。人を寄せ付けない厳しさと苛烈さは敵を震え上がらせ、味方を勇気で奮い立たせるのさ。一方、伊東さんは深海だ。極めた剣術と学問は広く深く、その虜になって近づいた人を飲み込んじまう」

「なるほど……」

 小佐吉は沖田の横顔をまじまじと見つめた。自分とそう違わぬ年齢の男が、こうも鮮やかに人を評するのを聞いていて、すっかり感心してしまったのだ。

 沖田の話は続いた。

「そうすると山南さんはなんだろな、しんと静まり返った、波立たぬ湖水といったところか。人を畏怖させる峻烈さも、魅惑的な底の深さもありゃしねぇ。あるのは壊しがたい静寂だけだ。風が吹いて波立つのさえ惜しまれるような、あの静かさはなんだろな。なんなんだろうな……」

 沖田の目がふと小佐吉を見据えた。

「お前さんはなんだい?」

「拙者は、そうですなぁ、この雨にでもなれればと」

「雨?」

「ええ。滝だろうが海だろうが湖だろうが、どんな水の懐にも入っていけるような、自由な雨に」

 ふふん、と沖田は愉快そうな笑みを漏らした。

「なに締まりのイイこと言っちゃってんの。うぬぼれがすぎるぜ、お前さんが土方さんたちの懐に、ねぇ」

「それは拙者も同じ思いでございます。今の自分はせいぜい、犬の小便といったところですかな」

 今度は、沖田は声を上げて笑った。

「犬の小便でも懐には入れるってかい」

「ええ。ちょいと水が黄ばみはしますが、すぐに馴染むじゃありませんか」

「うふふ、ばかばかしい」

 沖田はよいしょ、と立ち上がった。

「こんな雨の日に屯所なんぞにいたら気が滅入る。ひとっ風呂あびたら、町に出て女でも買おうぜ」

 そういった遊興が不得手の小佐吉はどう答えたものか逡巡したが、答える前に、沖田の身体が前に傾いで、庭にどしゃりと倒れた。

「……沖田ど……の?」

 目の前で起こったことを、しばらく脳が処理できなかった。我に返った小佐吉は沖田の身体を助け起こしながら、叫んだ。

「沖田どの!」

「んや……大丈夫だ、ちょいと眩暈が……。いてっ、右手をすりむいてやがる」

「お待ちくだされ、今、誰か人を呼び――」

「やめろ」

 沖田は低くうなるような声で言った。小佐吉はぴたりと口をつぐんだ。さきほど竹刀で受けたどの打撃よりも強く、その声は小佐吉の胸を打った。

「このことを他言したら殺すぞ。…………目ん玉と金玉にデコピン百連発だ」

 沖田はゆっくりと起き上がると、濡れた土を衣服から払い落とした。

「最近じゃもう慣れっこなんだ、このくらい。逐一報告してたら、俺は信用を失っちまう。いざ決戦のときに倒れられちゃ困るとか思われてね」

 慣れっこになるほど倒れるなど、尋常ではない。医者に診てもらってしっかり療養すべきではないのか。そう思った小佐吉に、沖田は言い放った。

「俺もお前さんとおんなじで、なるなら雨だ。でも、天地がひっくり返るほどの土砂降りじゃなきゃだめなんだ。滝も海も湖も、みんな飲み込んじまうくらいの、でっかいことをやり遂げて、そう、やり遂げたあとでぶっ倒れて死んでしまうってんなら、それはそれでいいんだ。そんときはそれまでさ」

 最後は自分に言い聞かせるように喋り終えると、竹刀や胴着も投げ打ったまま、沖田はゆっくりと部屋の奥に歩いていって姿を消した。

 

 同刻、会津藩筆頭家老・秋月悌次郎が京都に構える屋敷では、一人の女が秋月と対座していた。

「ほう……。御庭番の頭目を招いたつもりだったが、これはまた座がずいぶんと艶やかになりますな」

 正座してお辞儀をした目の前の女を、秋月は物珍しげに眺めた。

 女は楚々とした面持ちで口を開いた。

「お魁(かい)と申します。このたびはかようなご立派なお屋敷にお招き頂き、恐悦至極にございます」

「お魁、お魁かー。お魁ねぇー。なんかごつくて可愛げのない名前だのぅ。よしお前、今すぐ改名せい。『お琴』か『おりん』、好きなほうを選ぶがよい」

「その乾いたワカメみたいなアゴヒゲむしりとるぞ、クソジジイ」

 清楚さをかなぐり捨てて突っかかるお魁を、そばに控えていた部下が宥めて座らせる。お魁はコホン、と咳払いひとつして、

「今日はいかな御用で」

「屍生技術、その鍵を握る者たちがおるだろう? 勝麟太郎の弟子たちのことだが」

「勿論、存じております。昨日のことですが、われわれ御庭番に上様直々の下知がございました」

 お魁は声をひそめ、告げた。

「屍生技術に関与した疑惑のある者、此れを全て誅殺せよ――こと、勝麟太郎の弟子たちは見つけ次第、早急に始末をつけよと」

「その件についてはわしも、我が主、松平容保から聞き及んでおる。問題はそこではない」

 秋月は脚を組み替え、身を乗り出した。

「聞いて驚くなよ。わしは会津藩独自の情報網を使って、弟子の一人の潜伏先を突き止めたのだ」

「何ですって!?」

 お魁は思わず声を上げた。こんなにも早く情報をつかむとは、いったいどのような手段を使ったというのだろう。諜報のプロ、御庭番がまだ何も突き止めていない、この段階で。

「驚くなよって言ったじゃーん、お魁はホントあわてんぼさんなんだから、んもー」

「次ふざけたらそのヒゲ燃やすよ?」

 悪ノリする秋月に、お魁はぴしゃりと言い放っておいて、

「して、その人物とは?」

近藤長次郎土佐藩で饅頭売りを営んでいた若者でな。あの坂本龍馬とかいう胡散臭い輩と親しいらしく、最近は坂本とともに国内外を問わず商人と武器などの取引をはじめたと聞く」

「近藤の潜伏先は、どこなのです?」

「そこについては、我々も取引といこうではないか」

 急いて尋ねるお魁を弄ぶかのように、秋月は緩慢な口調で応じた。

「潜伏先を教える代わりに、近藤の身柄を一時、会津藩預かりとしたい」

「しかし、主命は……」

「わしとてそれは心得ておる。最終的には近藤が御庭番に引渡され、その首が刎ねられることに異論は無い。が、屍生技術を知る者すべてを抹殺することは、屍生技術に関する知識を闇に葬り去るに同じ。それはちと勿体なかろう?」

「要するに、秋月様は屍生技術に興味がおありで、関係者である近藤長次郎に色々と尋問なさりたいと?」

 お魁はおもむろに立ち上がると、毅然とした態度で言い放った。

「恐縮ながら、主命に背くことは致しかねます。この話はなかったことに」

 部下を連れ、きびすを返したお魁の姿が消えると、秋月悌次郎の背後にどこからともなく人の姿が現れた。

「……尾けますか」

「構うな。ああ見えて天下の御庭番。そなたとて返り討ちに会うやも知れぬ」

 秋月は顎鬚を撫でながら、

近藤長次郎は捨て置け。今は泳がせ、宜しき時に大物を釣る餌となってもらおうぞ。……引き続き、もう一人の探索を続けよ」

「御意」

 そう、坂本龍馬たちを、屍生技術を追っているのは新撰組だけではなかった。各勢力が己の利益や目論見のため鼻を蠢かせ、今や一触即発の状態であった……。

 

(第19話おわり)